「1964年 昭和39年」とは?

ここでは、 「1964年 昭和39年」とは? に関する情報を紹介しています。
障害者も含め、全ての人が「人間らしく生きる」ことを基本に
命の尊厳を大切にし、意義ある人生をともに歩んでいきます!
(ビーオブエス企業理念の冒頭)
最近コマーシャルが各局でいつも流れている
「1964 昭和タイムズ 39年」創刊号を購入した。
これだけのカラーページ数で創刊号の190円は安い。

39年は東京オリンピック・新幹線の開通・.そして平凡パンチの創刊 etc
私は中学生であった。
中学生時代の記憶はあまりないがこの3つはよく覚えている。

昨日も書いたが東京オリンピックは個人的になにか特別な思いもある。
実は東京オリンピックを見にいきそのときはまさに展覧試合のとき。
私たちは修学旅行で国立競技場にいたのだが。

聖火台の直ぐ横に陣取ったが競技自体は小さすぎてほとんど見えない。
当日正面スタンド前は80mハードルの決勝。
リッカーミシンの依田郁子がいつもの独特の前屈で準備していたのだろう。
メダルも期待されたが結果は5位入賞に留まった。

ここらの席の者は走っているらしいということしか味わえなかった。
でも日本の女子陸上競技史上スプリント種目での
入賞は未だかつてこの時の依田郁子のみである。
東京オリンピックから19年後の1983年自宅で自ら命を絶たれた。

東京オリンピックでの最も強烈な印象が実際に観戦したこと。
このときの聖火台前での写真が私にとって始めてのカラー写真だった。
いまから40年余り前・手札サイズ(今のL版)で当時150円も払った。

新幹線も開通したが
修学旅行は「きぼう」と「ひので」だった。
当時中学生が新幹線に乗れるなどとは誰一人思わなかった。
でも京都駅の八条口に改札口が出来たのは覚えている。

平凡パンチを私が見るようになったのは高校になってから。
66年にプレイボーイが創刊されて2誌が競い合うようになったあと。
ドキドキしながら友達から借りたものをソッと見ていた。
だって裸の女性(ビキニは着ていたナ)がグラビアに載っているんですヨ。

ウブな私には強烈な印象であった。
すでに両誌ともだいぶ以前(1988年ころ?)に一旦その役目を終えた。

友人のひとりは今もこれがあのときの平凡パンチ・プレイボーイなどと
懐かしがって汚くなったものを今も大事に残している。
彼の青春の証なのでしょう。

「ALWEYS三丁目の夕日」は東京タワーの完成だから33年。
まだこれより6年も前だ。
この画面も私には昭和の原風景。
映画の設定の「町の自動車工場」は子ども時代には懐かしい。
ものづくりの家庭に育ってない私にはこの生活の苦労より
自分にないものへの憧れ的なものもある。

特に京都の町はウエスにまみれて生活する工場はあまりない。
昔見た鋳物の街でキューポラ(鉄の溶解炉)が多く見られた
埼玉県川口市を舞台とした青春ドラマが
妙に頭に残っている。
吉永小百合の「キューポラのある街」に容易に感化された自分がいた。
そういうサユリストとともに育ってきたのがこの世代。

自分の育ってきたころを懐かしむのは・・・・・
私の子どもたちも今まで育ってきた環境を
あと3〜40年くらい先にどのように感じるのだろうか?

当時自分がなりたいと思っていたことと
今の仕事は全くかけ離れている。
自分にとってそれがどうかは今判断すべき時期ではない。

もっと違った人生もあれば
今が天職なのかもしれないし
あと10年もすれば自ずと結論が出ているのでしょうネ。

塩谷さんは
今日も無事仕事を終えました。
明日も元気です。
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