障害者も含め、全ての人が「人間らしく生きる」ことを基本に
命の尊厳を大切にし、意義ある人生をともに歩んでいきます!
命の尊厳を大切にし、意義ある人生をともに歩んでいきます!
(ビーオブエス企業理念の冒頭)
今日8月15日は終戦記念日。
正確には敗戦承認日。
終戦という響きは戦争を起こした責任が感じられない。
この感覚が各国から非難される戦後処理についても曖昧になるのか。
負けを認めたのだから記念日はおかしよネ。
例年どおり日本武道館で全国戦没者追悼式。
天皇・皇后両陛下をはじめ戦没者追悼式に6千人も。
ただ戦没者の親は1人だけが参加されたとの報道。
戦後62年はさすがに遺族には長く重い。
年々進む世代交代の中101歳の母から10歳のひ孫まで
世代を超えて平和への願いを込めて祈りをささげたという。
参列者の最高齢となった東京都杉並区の松岡コトさんき
「みんなと一緒にここに来られたのは息子のおかげ。
平和になって良かったと思う」と20数年ぶりに思いを語ったと云う。
長男欣平さんは21歳で学徒出陣した45年5月27日
ビルマ(現ミャンマー)で空襲を受け戦死した。
戦死を聞かされて泣き崩れた両親の姿は
目に焼きついていると三女則子さん(72)
欣平さんは6人兄弟の最年長で東京帝国大経済学部に
入学して約2カ月後召集令状が来た。
「帰ってくる」と喜びの表情で出征したが
戦場からの手紙には勉強への未練や最期への覚悟が書かれていた。
「世はまさに闇だ。戦争に何の倫理があるのだ」
欣平さんの入隊前日記には心の葛藤(かっとう)が描かれていたという。
戦争犠牲者の高齢化が進む中戦没者の親は1人だけで
子や孫などの戦後生まれが目立ち参列した遺族は
4776人で過去最少となったと報道された。
安倍晋三首相は式辞で過去の戦争でアジア諸国に
与えた損害と苦痛への反省と追悼を表明した。
国は7月中国残留孤児に対して新たな支援策を決めたほか
原爆症に関しても今月認定基準を
1年以内に見直すことを表明するなど
今年になって戦後補償を巡る進展もみせるなど
こんなに人間の根源に係わる問題にも
人気取りの材料にしていこうとするのか?
また戦争犠牲者の高齢化で平和の心をつなぐ世代の交代が進んでいる。
原爆詩の朗読をライフワークにしている女優の吉永小百合さんが
朗読CD三部作の完結編となる
「第二楽章 沖縄から 『ウミガメと少年』」を発表した。
「慰霊の日」を前にした21日に沖縄県宜野湾市で
朗読会を開いた吉永小百合さんは
「いつまでも『戦後』で」と20年にわたる活動と平和への思いを語る。
先日NHKでも彼女の朗読の原点も含め報道特集を組んでいた。
原爆詩の朗読を始めたのは1986年。
朗読し続けて20年が経ちましたとさり気なく云っていたのが印象的。
東京で開かれた平和集会で依頼されたのがきっかけだったらしい。
「詩を読んで心の震えを感じました」
以後無報酬で全国の学校などで活動を続けてきた。
「戦争の世紀といわれた20世紀が終われば
平和が来ると思ったのに今は紛争やテロでもっと混沌としている。
世界の指導者たちは解決策を考えているのでしょうか」と警鐘を鳴らす。
97年に広島原爆にまつわる詩をまとめたCD「第二楽章」
99年には「第二楽章 長崎から」を発表。
「第二楽章」という題名には「終戦から半世紀が過ぎ
平和運動も第二楽章に来たという思いを込めました」とも。
新作の朗読会では三線(さんしん)演奏をバックに
野坂昭如さんの童話「ウミガメと少年」を読み
地上戦のむごさを訴えた。
客席には元ひめゆり部隊の女性の姿もあった。
「長く心に引っ掛かっていたものが取れた」と朗読者は云う。
童話を選んだのは
「子供たちに分かりやすい形で聞いてほしかったから」だという。
「今の日本が向かっている方向は怖い。
戦争ができる国になろうとしているように思えます。
いつまでも世の中が『戦後』であり続けてほしい」
朗読活動は「自分の体が続く限り生涯続けたい」
彼女の並々ならぬ決意をこの番組からも受け取れた。
私の親父も戦地に行ったらしい。
でも戦争のこと現地のことは云わなかったし聞かなかった。
そんな親父も短歌の中に戦争について幾首かの歌を詠んでいた。
ひとそれぞれ戦争の無意味さを自分なりに表現すればいいと思う。
吉永小百合の朗読を中学生のときに聞き
自分も教育者となった今彼女のように生徒に読み聞かせる先生。
沖縄の悲惨さを語り継ぐ活動をするボランティア団体。
原爆の惨たらしさを修学旅行生に語る人々。
1年ずつ確実この戦争を知る人たちが減るなか
私たちはなにをどうしていけばいいのかを
自分なりに考えていく8月15日にしたいもの・・・・・
塩谷さんは
今日も無事仕事を終えました。
明日も元気です。
正確には敗戦承認日。
終戦という響きは戦争を起こした責任が感じられない。
この感覚が各国から非難される戦後処理についても曖昧になるのか。
負けを認めたのだから記念日はおかしよネ。
例年どおり日本武道館で全国戦没者追悼式。
天皇・皇后両陛下をはじめ戦没者追悼式に6千人も。
ただ戦没者の親は1人だけが参加されたとの報道。
戦後62年はさすがに遺族には長く重い。
年々進む世代交代の中101歳の母から10歳のひ孫まで
世代を超えて平和への願いを込めて祈りをささげたという。
参列者の最高齢となった東京都杉並区の松岡コトさんき
「みんなと一緒にここに来られたのは息子のおかげ。
平和になって良かったと思う」と20数年ぶりに思いを語ったと云う。
長男欣平さんは21歳で学徒出陣した45年5月27日
ビルマ(現ミャンマー)で空襲を受け戦死した。
戦死を聞かされて泣き崩れた両親の姿は
目に焼きついていると三女則子さん(72)
欣平さんは6人兄弟の最年長で東京帝国大経済学部に
入学して約2カ月後召集令状が来た。
「帰ってくる」と喜びの表情で出征したが
戦場からの手紙には勉強への未練や最期への覚悟が書かれていた。
「世はまさに闇だ。戦争に何の倫理があるのだ」
欣平さんの入隊前日記には心の葛藤(かっとう)が描かれていたという。
戦争犠牲者の高齢化が進む中戦没者の親は1人だけで
子や孫などの戦後生まれが目立ち参列した遺族は
4776人で過去最少となったと報道された。
安倍晋三首相は式辞で過去の戦争でアジア諸国に
与えた損害と苦痛への反省と追悼を表明した。
国は7月中国残留孤児に対して新たな支援策を決めたほか
原爆症に関しても今月認定基準を
1年以内に見直すことを表明するなど
今年になって戦後補償を巡る進展もみせるなど
こんなに人間の根源に係わる問題にも
人気取りの材料にしていこうとするのか?
また戦争犠牲者の高齢化で平和の心をつなぐ世代の交代が進んでいる。
原爆詩の朗読をライフワークにしている女優の吉永小百合さんが
朗読CD三部作の完結編となる
「第二楽章 沖縄から 『ウミガメと少年』」を発表した。
「慰霊の日」を前にした21日に沖縄県宜野湾市で
朗読会を開いた吉永小百合さんは
「いつまでも『戦後』で」と20年にわたる活動と平和への思いを語る。
先日NHKでも彼女の朗読の原点も含め報道特集を組んでいた。
原爆詩の朗読を始めたのは1986年。
朗読し続けて20年が経ちましたとさり気なく云っていたのが印象的。
東京で開かれた平和集会で依頼されたのがきっかけだったらしい。
「詩を読んで心の震えを感じました」
以後無報酬で全国の学校などで活動を続けてきた。
「戦争の世紀といわれた20世紀が終われば
平和が来ると思ったのに今は紛争やテロでもっと混沌としている。
世界の指導者たちは解決策を考えているのでしょうか」と警鐘を鳴らす。
97年に広島原爆にまつわる詩をまとめたCD「第二楽章」
99年には「第二楽章 長崎から」を発表。
「第二楽章」という題名には「終戦から半世紀が過ぎ
平和運動も第二楽章に来たという思いを込めました」とも。
新作の朗読会では三線(さんしん)演奏をバックに
野坂昭如さんの童話「ウミガメと少年」を読み
地上戦のむごさを訴えた。
客席には元ひめゆり部隊の女性の姿もあった。
「長く心に引っ掛かっていたものが取れた」と朗読者は云う。
童話を選んだのは
「子供たちに分かりやすい形で聞いてほしかったから」だという。
「今の日本が向かっている方向は怖い。
戦争ができる国になろうとしているように思えます。
いつまでも世の中が『戦後』であり続けてほしい」
朗読活動は「自分の体が続く限り生涯続けたい」
彼女の並々ならぬ決意をこの番組からも受け取れた。
私の親父も戦地に行ったらしい。
でも戦争のこと現地のことは云わなかったし聞かなかった。
そんな親父も短歌の中に戦争について幾首かの歌を詠んでいた。
ひとそれぞれ戦争の無意味さを自分なりに表現すればいいと思う。
吉永小百合の朗読を中学生のときに聞き
自分も教育者となった今彼女のように生徒に読み聞かせる先生。
沖縄の悲惨さを語り継ぐ活動をするボランティア団体。
原爆の惨たらしさを修学旅行生に語る人々。
1年ずつ確実この戦争を知る人たちが減るなか
私たちはなにをどうしていけばいいのかを
自分なりに考えていく8月15日にしたいもの・・・・・
塩谷さんは
今日も無事仕事を終えました。
明日も元気です。
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