障害者も含め、全ての人が「人間らしく生きる」ことを基本に
命の尊厳を大切にし、意義ある人生をともに歩んでいきます!
命の尊厳を大切にし、意義ある人生をともに歩んでいきます!
(ビーオブエス企業理念の冒頭)
今朝障害者社員の迎えのときカーラジオをつけたらスポーツ放送。
「こんなに早くからなに?」と思っていたら高校野球の大会歌が流れていた。
そうなんだ!! 高校野球が始まったのだ。
ちょうどバックに流れていた大会歌が終わり選手宣誓。
前橋商業の主将らしいが
私たちの青春時代とは違い紋切り型でなく
自分たちの思いをゆっくりした口調でしっかりと表現するのが今流。
またその思いも長い。
今日のような大舞台で上がらずよくもこれだけ覚えられるものだと感嘆仕切り。
前回大相撲夏場所が始まったのも2〜3日知らなかったと書いたばかり。
土・日が必ずしも休日でもないので
曜日の感覚も薄れている。
関心度の少なさだけでなく日にち・曜日も仕事の重要度で
感覚的に把握している自分にドキッとしてしまうこともある。
高校野球については最近ではさほど興味はないが
私には2つの思い出がある。
ひとつはおふくろと決勝戦を見に行った。
特に決めて行ったのではなくなんとなく向かった先が甲子園だった。
これは夏の大会ではなく春の選抜大会だったかな
昭和42年頃のことだから私がまだ10代半ばのころだったのか。
大分県の津久見高校が高知高校を破って優勝した年。
おふくろは昔は水泳の選手をやるなどスポーツが結構好きだった。
高校野球も私が子ども時代はよくテレビで見ていた記憶がある。
でも巨人や阪神にはさほど興味はなかったようであった。
そのとき確か内野の津久見側で見ていた記憶がある。
その後高校野球を見に甲子園にも何度も足を運んだが
決勝戦を見たのは後にも先にもこの試合だけ。
なぜ行ったのかは今もおふくろには聞いていない。
もうひとつ 私は生まれも育ちも京都であり
平安高校の全盛期とともに育ってきた。
昭和24年から昭和49年までの25年間で
(この年とこの期間には個人的にいろんな意味があるのですが)
平安高校は実に15回も夏の大会に出ている。
ただ優勝したのは1回だけで私はまだ物心つく前のこと。
この期間を間に挟んでや60年余りで14回(計29出場)だから
いかにこの時期が凄かったかがわかる。
あの衣笠や大物と云われ目のでなかった野口
さらにはプロには行かなかった池田なども記憶にある。
日ハムに入った渋谷は退団後
私の最初の会社に就職し社員研修も受けていた。
当時私は総務関係でそれらの担当もしていたが・・・
一度京滋大会で滋賀県の守山高校に破れ甲子園を逃し
選手全員が大泣きしていたことはよく覚えている。
この時期を指導した監督が過日亡くなられた中村監督。
当時の名将の誉れ高い監督であった。
その監督が私が大学に入学し一般教養の体育の授業で習ってしまった。
確かテニスだったと思う。
受けるほうもましてや教えるほうも真剣ではないので
テニスの指導も出来たのだろう。
強い平安高校を再度見たいという京都市民は多いが
ここ暫くは団子状態。
ところで京都の夏の出場校は
平安が29回も出場し 58勝26敗 優勝3 準優4
京都学園・昔の京都商業が11回で 8勝11敗 準優勝1
京都外大西・懐かしの京都西が7回 11勝7敗 準優勝 1
比較的最近には
京都商業・平安・京都成章・京都外大西が何れも準優勝。
ここらで一度頂点に立ってもらいたいもの。
ネ! 京都外大西の選手諸君!!
塩谷さんは
今日も無事仕事を終えました。
明日も元気です。
「こんなに早くからなに?」と思っていたら高校野球の大会歌が流れていた。
そうなんだ!! 高校野球が始まったのだ。
ちょうどバックに流れていた大会歌が終わり選手宣誓。
前橋商業の主将らしいが
私たちの青春時代とは違い紋切り型でなく
自分たちの思いをゆっくりした口調でしっかりと表現するのが今流。
またその思いも長い。
今日のような大舞台で上がらずよくもこれだけ覚えられるものだと感嘆仕切り。
前回大相撲夏場所が始まったのも2〜3日知らなかったと書いたばかり。
土・日が必ずしも休日でもないので
曜日の感覚も薄れている。
関心度の少なさだけでなく日にち・曜日も仕事の重要度で
感覚的に把握している自分にドキッとしてしまうこともある。
高校野球については最近ではさほど興味はないが
私には2つの思い出がある。
ひとつはおふくろと決勝戦を見に行った。
特に決めて行ったのではなくなんとなく向かった先が甲子園だった。
これは夏の大会ではなく春の選抜大会だったかな
昭和42年頃のことだから私がまだ10代半ばのころだったのか。
大分県の津久見高校が高知高校を破って優勝した年。
おふくろは昔は水泳の選手をやるなどスポーツが結構好きだった。
高校野球も私が子ども時代はよくテレビで見ていた記憶がある。
でも巨人や阪神にはさほど興味はなかったようであった。
そのとき確か内野の津久見側で見ていた記憶がある。
その後高校野球を見に甲子園にも何度も足を運んだが
決勝戦を見たのは後にも先にもこの試合だけ。
なぜ行ったのかは今もおふくろには聞いていない。
もうひとつ 私は生まれも育ちも京都であり
平安高校の全盛期とともに育ってきた。
昭和24年から昭和49年までの25年間で
(この年とこの期間には個人的にいろんな意味があるのですが)
平安高校は実に15回も夏の大会に出ている。
ただ優勝したのは1回だけで私はまだ物心つく前のこと。
この期間を間に挟んでや60年余りで14回(計29出場)だから
いかにこの時期が凄かったかがわかる。
あの衣笠や大物と云われ目のでなかった野口
さらにはプロには行かなかった池田なども記憶にある。
日ハムに入った渋谷は退団後
私の最初の会社に就職し社員研修も受けていた。
当時私は総務関係でそれらの担当もしていたが・・・
一度京滋大会で滋賀県の守山高校に破れ甲子園を逃し
選手全員が大泣きしていたことはよく覚えている。
この時期を指導した監督が過日亡くなられた中村監督。
当時の名将の誉れ高い監督であった。
その監督が私が大学に入学し一般教養の体育の授業で習ってしまった。
確かテニスだったと思う。
受けるほうもましてや教えるほうも真剣ではないので
テニスの指導も出来たのだろう。
強い平安高校を再度見たいという京都市民は多いが
ここ暫くは団子状態。
ところで京都の夏の出場校は
平安が29回も出場し 58勝26敗 優勝3 準優4
京都学園・昔の京都商業が11回で 8勝11敗 準優勝1
京都外大西・懐かしの京都西が7回 11勝7敗 準優勝 1
比較的最近には
京都商業・平安・京都成章・京都外大西が何れも準優勝。
ここらで一度頂点に立ってもらいたいもの。
ネ! 京都外大西の選手諸君!!
塩谷さんは
今日も無事仕事を終えました。
明日も元気です。
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