障害者も含め、全ての人が「人間らしく生きる」ことを基本に
命の尊厳を大切にし、意義ある人生をともに歩んでいきます!
命の尊厳を大切にし、意義ある人生をともに歩んでいきます!
(ビーオブエス企業理念の冒頭)
今日10/1から障害者自立支援法が完全施行される日。「障害者自立支援法施行から半年!その欠陥を明らかにする市民フォーラム」に参加してきました。この日に合わせて応益負担大反対集会をぶつけてきたのは、いかにも主催者側の事務局長らしい発想。彼女のうまいリードには、いつもながら敬服します。
この闘争の主旨やこのまま推移すればどうなっていくか、私たちが今後どのように取り組んでいくべきかを書きたかった(この件は追って書きます)が、現地で予期せぬ事件に出合ってしまった。
法律は今日が施行日。そんな日に私たちに対する誤解を解きたいとの思いで以下を綴ります。
当社の女性ヘルパーが知的障害者のトイレ介助のあと、会場内でAさんから厳しい叱責を受けた。
(ヘルパーから聞いた内容を忠実に記しておきます。ただし、私自身も同行したひとりですが、直接お会いしたこともなく、その場にも居合わせなかったので、若干言葉の表現体が違うかも知れませんが)
「○○さんも来たはるんやね」
「でも○○さんこんな会合に来てもわからないし、寂しそうに爪ばっかり噛んでおられたわね」
「しかも、あなたなは○○さんに声かけもしなかったしね」
「○○さんはほったらかしですね」
「誰がここへ来ようと決めたの」
「これに参加することお母さんもご存知なの?」
「でもお母さんはヘルパーさんが行きたいといったら反対はされないしね」
「ご本人達はここに来てお話を聞くことはご存じなの」
「わからない者を連れてきて。可哀想やね」
「あなたたちヘルパーが聞きたいだけなのでしょう」
「前にも、あなたの事務所っておかしいと云いましたね」
「なんべんでも同じ失敗を繰り返す所ですね」
「お母さんには見たことをそのままお伝えてしておきますね」
「支援センターにもお伝えしておかないといけないしね」(当社はこんな事をするひどい事業所ですということを役所に告げること。前回も告げ口されその機関からお電話も頂戴し、きっちりとすべき釈明はさせていただいた)
「今日一日ズッとここ?」
※この会の参加は午前中だけで、お昼は500円バイキングを食べ、後は雨が降っているのでドライブを楽しんでもらう予定にしています。
とのヘルパーの言葉に少しご安心はされたようです。
なぜこういうふうになるのか? 当事務所を色めがねで見ておられるのでしょうね。
昔は一時期失敗もしご迷惑をお掛けし、また行き違いがあったと私も聞いています。
しかしいつまでもそう思っているのはAさんあなただけではないですか?
でもこれっておかしくないですか?
前日に本日の行き先等の最終確認をさせていただきました。「午前中は会議に参加してみるのも良いことだと思っているのですが、ただ○○さんにはむずかしいし、その後・・・・・・」このお話をするとご家族から明日の集会やね。2時間くらいなら問題なく座っておれるし、そういう会にも連れてやって」とご了解も頂戴した。なにも勝手に決めているわけではありません。
特に障害者やご家族、身内、支援する団体、現場の介護事業者の誰一人として良い法律だと思っていない悪法に、反対の声を上げようと開かれた集会。障害者自立支援は三障害が始めて同じ法律のもとにまとまることも趣旨の大きな要素のはず。だから障害者が等しく一緒に行動をおこそうと計画されている。
全ての障害者の反対運動の盛り上げが大きな力となることは、過去の運動が示し結果もだしている。
知的障害者はそんなことわからないから参加しても意味がない。それよりはどこかへ連れてあげて楽しませてあげる方が良い。これも一部は理解できます。
ただ、詳しく申し上げるつもりはないが、ご家族をよくご存知の方であればなお更ちょっとおかしい。ガイヘル時のお二人の行動をみれば今日ここに障害の重い弟さんを連れてきていることは理解してもらえると判断していますが。
「私のほうがあなた達ヘルパーなんかより、よく存じています」と云ってしまえば、他人の言葉に耳を貸さないということでしょう。
彼らご本人達は、いつもガイヘル当日は嬉しそうにヘルパーを家の前で早くからお待ちです。
その期待を裏切らないことが私たちの務めです。
知的障害者は理解できないので連れてきても無駄。理解できないことはやる必要もない。
▲▲、◆◆は無理・無駄。
これって逆差別ではないですか?
知的障害者は楽しくガイヘルに連れて行ってもらったらそれでいい。
それ以上考える必要などないし無駄だということですか?
こんなうわべの時間つぶしだけで果たして真の目的が達せられるのでしょうか。ご家族は親亡き後の安定・安心に腐心されています。このままでは新法が障害者のためにならないし、引いては係わる者全てに悪影響を及ぼすものであれは、事前に考える機会を持ちたいと考えることは必要ではないか。知的障害者本人でも、ご家族でも。
知的障害者がなぜその輪に入ってはいけないのですか?
今日の会合はその機会のひとつであると思っていました。正直知的障害者数は少なかった。でもこういう方々も反対運動を支えることが、前記のとおり大きな結果を生んでいくことにはなりませんか?
「退屈・何もしていない」とのご指摘は今後の活動上肝に銘じておきます。しかしながら、うわべだけを見られてのご指摘であり当たっていないと思います。活動の全体をご覧いただき改めてご指摘ください。
ガイヘル終了時には、ご本人の理解は別として、「今日は楽しかったですか?また行きたいところなどご家族と相談しておいてください。」ご家族にも行った先を含め、どの財布からいくら使ったかなどもご案内して終了としています。
Aさんにそこまで云う資格がありますか。私はご家族がだす結論が正しいと思っています。
ヘルパーがその人の人生を左右するものではありませんが、当面の生活には係わっており、ご家族と近い将来を考える仲間だと思っているのですが、間違っていますか?
この闘争の主旨やこのまま推移すればどうなっていくか、私たちが今後どのように取り組んでいくべきかを書きたかった(この件は追って書きます)が、現地で予期せぬ事件に出合ってしまった。
法律は今日が施行日。そんな日に私たちに対する誤解を解きたいとの思いで以下を綴ります。
当社の女性ヘルパーが知的障害者のトイレ介助のあと、会場内でAさんから厳しい叱責を受けた。
(ヘルパーから聞いた内容を忠実に記しておきます。ただし、私自身も同行したひとりですが、直接お会いしたこともなく、その場にも居合わせなかったので、若干言葉の表現体が違うかも知れませんが)
「○○さんも来たはるんやね」
「でも○○さんこんな会合に来てもわからないし、寂しそうに爪ばっかり噛んでおられたわね」
「しかも、あなたなは○○さんに声かけもしなかったしね」
「○○さんはほったらかしですね」
「誰がここへ来ようと決めたの」
「これに参加することお母さんもご存知なの?」
「でもお母さんはヘルパーさんが行きたいといったら反対はされないしね」
「ご本人達はここに来てお話を聞くことはご存じなの」
「わからない者を連れてきて。可哀想やね」
「あなたたちヘルパーが聞きたいだけなのでしょう」
「前にも、あなたの事務所っておかしいと云いましたね」
「なんべんでも同じ失敗を繰り返す所ですね」
「お母さんには見たことをそのままお伝えてしておきますね」
「支援センターにもお伝えしておかないといけないしね」(当社はこんな事をするひどい事業所ですということを役所に告げること。前回も告げ口されその機関からお電話も頂戴し、きっちりとすべき釈明はさせていただいた)
「今日一日ズッとここ?」
※この会の参加は午前中だけで、お昼は500円バイキングを食べ、後は雨が降っているのでドライブを楽しんでもらう予定にしています。
とのヘルパーの言葉に少しご安心はされたようです。
なぜこういうふうになるのか? 当事務所を色めがねで見ておられるのでしょうね。
昔は一時期失敗もしご迷惑をお掛けし、また行き違いがあったと私も聞いています。
しかしいつまでもそう思っているのはAさんあなただけではないですか?
でもこれっておかしくないですか?
前日に本日の行き先等の最終確認をさせていただきました。「午前中は会議に参加してみるのも良いことだと思っているのですが、ただ○○さんにはむずかしいし、その後・・・・・・」このお話をするとご家族から明日の集会やね。2時間くらいなら問題なく座っておれるし、そういう会にも連れてやって」とご了解も頂戴した。なにも勝手に決めているわけではありません。
特に障害者やご家族、身内、支援する団体、現場の介護事業者の誰一人として良い法律だと思っていない悪法に、反対の声を上げようと開かれた集会。障害者自立支援は三障害が始めて同じ法律のもとにまとまることも趣旨の大きな要素のはず。だから障害者が等しく一緒に行動をおこそうと計画されている。
全ての障害者の反対運動の盛り上げが大きな力となることは、過去の運動が示し結果もだしている。
知的障害者はそんなことわからないから参加しても意味がない。それよりはどこかへ連れてあげて楽しませてあげる方が良い。これも一部は理解できます。
ただ、詳しく申し上げるつもりはないが、ご家族をよくご存知の方であればなお更ちょっとおかしい。ガイヘル時のお二人の行動をみれば今日ここに障害の重い弟さんを連れてきていることは理解してもらえると判断していますが。
「私のほうがあなた達ヘルパーなんかより、よく存じています」と云ってしまえば、他人の言葉に耳を貸さないということでしょう。
彼らご本人達は、いつもガイヘル当日は嬉しそうにヘルパーを家の前で早くからお待ちです。
その期待を裏切らないことが私たちの務めです。
知的障害者は理解できないので連れてきても無駄。理解できないことはやる必要もない。
▲▲、◆◆は無理・無駄。
これって逆差別ではないですか?
知的障害者は楽しくガイヘルに連れて行ってもらったらそれでいい。
それ以上考える必要などないし無駄だということですか?
こんなうわべの時間つぶしだけで果たして真の目的が達せられるのでしょうか。ご家族は親亡き後の安定・安心に腐心されています。このままでは新法が障害者のためにならないし、引いては係わる者全てに悪影響を及ぼすものであれは、事前に考える機会を持ちたいと考えることは必要ではないか。知的障害者本人でも、ご家族でも。
知的障害者がなぜその輪に入ってはいけないのですか?
今日の会合はその機会のひとつであると思っていました。正直知的障害者数は少なかった。でもこういう方々も反対運動を支えることが、前記のとおり大きな結果を生んでいくことにはなりませんか?
「退屈・何もしていない」とのご指摘は今後の活動上肝に銘じておきます。しかしながら、うわべだけを見られてのご指摘であり当たっていないと思います。活動の全体をご覧いただき改めてご指摘ください。
ガイヘル終了時には、ご本人の理解は別として、「今日は楽しかったですか?また行きたいところなどご家族と相談しておいてください。」ご家族にも行った先を含め、どの財布からいくら使ったかなどもご案内して終了としています。
Aさんにそこまで云う資格がありますか。私はご家族がだす結論が正しいと思っています。
ヘルパーがその人の人生を左右するものではありませんが、当面の生活には係わっており、ご家族と近い将来を考える仲間だと思っているのですが、間違っていますか?
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