障害者も含め、全ての人が「人間らしく生きる」ことを基本に
命の尊厳を大切にし、意義ある人生をともに歩んでいきます!
命の尊厳を大切にし、意義ある人生をともに歩んでいきます!
(ビーオブエス企業理念の冒頭)
京都駅前の元「丸物」百貨店が本日
営業にピリオドを打つらしい。
1920年に前身の京都物産館が開店してから正式には87年。
西側の増床部分は道路沿いからは見えないので
いつも見ている外観は昔のまま。
そんな丸物・現近鉄百貨店には幾つもの
想い出があります。
私が生まれ育ったのは伏見稲荷「稲荷神社」の北側の山裾。
わが家は伏見区と東山区の境目の伏見区側にあり
京都市内にも感覚的には遠かった。
しかし交通の便は至極良いのがこのあたり。
京阪電車で四条へ。
今は廃線になった市電で京都駅へ。
当時は市バスで東大路から四条通りへ
昔は1時間に1本程度の国鉄も京都駅へ。
公共交通機関では非常に厚いのが伏見区深草。
この地にビーオブエスの事務所もあるのだが。
そんな中で丸物というと亡くなった親父を思い出す。
子供時代によく「丸物行ってくるワ」と出かけて行ったのを覚えている。
親父はまめな人でどこへでも面倒がらずに足を運んだ。
当時京都駅方面には行くのはいつも市電。
稲荷線という系統。
今の国道24号線を走っていた。
この軌道は道路の中央ではなく
東側に偏っていた。記憶に鮮明にある。
勧進橋を越えると真っ直ぐ行くのが中書島線
左に曲がり稲荷神社に向かう専用軌道が稲荷線。
今は西行きの一方通行道路になっているが。
時たま親父が私を連れて行ってくれた。
丸物のどこに行ったかは定かでない。
往復乗車券が15円の時代をなんとなく覚えている。
片道では8円であった。
大丸などに比して暗かった記憶があるのは
たぶん照明機器などが古かったのであろうか。
丸物は豊橋にも支店があるんやでと
自慢していたのも思い出す。
なぜ豊橋を知っていたのか。
たぶん信州飯田へ行く飯田線の始発駅だったから。
祖父の田舎へ行くのにここから汽車に乗っていた。
新聞では東京や北九州など最大で6店舗もあったらしい。
東京丸物は今では池袋パルコになっている。
当時の丸物の想い出は親父と乗った市電の想い出。
京都駅のだだっ広い建物やステーションホテルなど
丸物も含めた付近の全景は今となっては
かすかな記憶が残るのみ。
でも鮮明に記憶に残っていることがあります。
近鉄京都店に変わってから。
実はここで女房殿にマリッジリングを買いました。
大学時代の友人が近鉄百貨店に就職し京都店に配属され
営業畑でたぶん苦労していたのだろう。
一応2人の間だけでは婚約中であり
早い段階で女房殿には了解は取ったと思うが
彼からマリッジリングを買ってしまった。
懐かしい記憶です。
その後店の形態が変わり
近鉄が所有するもののテナントビルになり
無印やユニクロ、1階のパスタ売り場など
ちょこちょこ立ち寄るようになった。
今日夜8時に87年の歴史に幕を下ろす。
親父が生きていればさぞ寂しがるだろうナ。
時代とともに昭和30年代後半頃までの想い出がまた消える。
でも親父は「ヨドバシカメラ」などのような店舗も
結構好きな人でした。
塩谷さんは
今日も無事仕事を終えました。
明日も元気です。
営業にピリオドを打つらしい。
1920年に前身の京都物産館が開店してから正式には87年。
西側の増床部分は道路沿いからは見えないので
いつも見ている外観は昔のまま。
そんな丸物・現近鉄百貨店には幾つもの
想い出があります。
私が生まれ育ったのは伏見稲荷「稲荷神社」の北側の山裾。
わが家は伏見区と東山区の境目の伏見区側にあり
京都市内にも感覚的には遠かった。
しかし交通の便は至極良いのがこのあたり。
京阪電車で四条へ。
今は廃線になった市電で京都駅へ。
当時は市バスで東大路から四条通りへ
昔は1時間に1本程度の国鉄も京都駅へ。
公共交通機関では非常に厚いのが伏見区深草。
この地にビーオブエスの事務所もあるのだが。
そんな中で丸物というと亡くなった親父を思い出す。
子供時代によく「丸物行ってくるワ」と出かけて行ったのを覚えている。
親父はまめな人でどこへでも面倒がらずに足を運んだ。
当時京都駅方面には行くのはいつも市電。
稲荷線という系統。
今の国道24号線を走っていた。
この軌道は道路の中央ではなく
東側に偏っていた。記憶に鮮明にある。
勧進橋を越えると真っ直ぐ行くのが中書島線
左に曲がり稲荷神社に向かう専用軌道が稲荷線。
今は西行きの一方通行道路になっているが。
時たま親父が私を連れて行ってくれた。
丸物のどこに行ったかは定かでない。
往復乗車券が15円の時代をなんとなく覚えている。
片道では8円であった。
大丸などに比して暗かった記憶があるのは
たぶん照明機器などが古かったのであろうか。
丸物は豊橋にも支店があるんやでと
自慢していたのも思い出す。
なぜ豊橋を知っていたのか。
たぶん信州飯田へ行く飯田線の始発駅だったから。
祖父の田舎へ行くのにここから汽車に乗っていた。
新聞では東京や北九州など最大で6店舗もあったらしい。
東京丸物は今では池袋パルコになっている。
当時の丸物の想い出は親父と乗った市電の想い出。
京都駅のだだっ広い建物やステーションホテルなど
丸物も含めた付近の全景は今となっては
かすかな記憶が残るのみ。
でも鮮明に記憶に残っていることがあります。
近鉄京都店に変わってから。
実はここで女房殿にマリッジリングを買いました。
大学時代の友人が近鉄百貨店に就職し京都店に配属され
営業畑でたぶん苦労していたのだろう。
一応2人の間だけでは婚約中であり
早い段階で女房殿には了解は取ったと思うが
彼からマリッジリングを買ってしまった。
懐かしい記憶です。
その後店の形態が変わり
近鉄が所有するもののテナントビルになり
無印やユニクロ、1階のパスタ売り場など
ちょこちょこ立ち寄るようになった。
今日夜8時に87年の歴史に幕を下ろす。
親父が生きていればさぞ寂しがるだろうナ。
時代とともに昭和30年代後半頃までの想い出がまた消える。
でも親父は「ヨドバシカメラ」などのような店舗も
結構好きな人でした。
塩谷さんは
今日も無事仕事を終えました。
明日も元気です。
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